リレーフォーライフと私

あまり、個人的な感情の含まれる投稿はこちらにしないことにしていますが、今日はちょっと書かせていただきます。

 

リレーフォーライフについては他の記事などをご参照戴くとして、なぜ、私がリレーフォーライフに参加するか。

 

2009年に私は乳がんを告知され、治療をしてきています。当時、私はステージOの超早期の発見でした。そして若年発症。それらゆえに悩んだことも。

 

患者となって間もなく勇気を振り絞って参加したとある患者会にて、これまた勇気を振り絞ってお話をした母程やそれ以上の年齢の患者さん何人かに、「あなたは軽くて良いわよね」、「若くてかわいそう」と言われました。若いのは事実なので「まぁ、そうかな」と思いましたが、「軽くて良いわよね」の言葉に傷つきました。「軽いって言われてもこの年でがんなんて・・・」と。同時に「軽い私が辛いなんて言ってはいけないんだと」思い詰めてしまいました。それからは、家族にも関わって下さっている医療従事者の方にももう誰にも辛いと言えなくなってしまったと同時に、患者会という場に足を運ぶことは無くなりました。

 

それからはもうとにかく孤独でした。

 

でも、そんな中でも忘れられない看護師さんとの出会いがあり少しずつ気持ちも回復。

 

そんな時、あれは2010年夏頃だったか、地元の中日新聞で岡崎(愛知県岡崎市)で初めてのリレーフォーライフが開催されることを知りました。

 

イベントのことは全然よくわかっていなかったけど、「歩くイベントなら居心地が悪ければすぐに帰ればいいか」と思って2010年9月に開催されたリレーフォーライフ岡崎にこれまた勇気を振り絞って参加しました。

 

そこで大げさでは無く「運命的な出会い」をしました。そこではじめて若年のがんサバイバーさんやケアギバーさんのチーム「若年がんサバイバー&ケアギバーチームOUTLET」のみんなに出会い、「一人じゃ無いんだ」と感じられ孤独から解放されました。そこでは、がんの種類、状態、置かれている立場が違えど「若い」ことで共感できることもたくさんありました。

その後も、体調と時間の許す限り、各地のリレーフォーライフに参加してきました。

 

そして、2015年には一宮(愛知県一宮市)で開催されたリレーフォーライフジャパン2015尾張の実行委員を務めました。ずっとリレーフォーライフは参加するもので運営側に回ることは無いと思っていたのですが、OUTLETのケアギバーの仲間に誘われ(半ばだまされ?)実行委員を務めたことで、今のくまの間を立ち上げるきっかけともなりました。

 

実のところリレーフォーライフには賛否両論あるのも事実です。でも、私は初代リレーフォーライフジャパン岡崎の実行委員長、OUTLETの仲間に出会ったことで今があると言っても過言では無いので、今後もリレーフォーライフには参加すると思います。

 

もし、興味がある方はぜひ遊びに来て下さい♪